前回に引き続き懐かしい言葉が、頭をよぎる。
「リア充」という単語を初めて聞いたのは、中学生の頃。意味を知った時、恋人がいないと人生は充実しないという含意を感じて眉をひそめた。それは今も変わっていないが、この言葉に圧を感じている自分がいる。それに気づいた。恋人ができたからだ。
もうお前は充実しているのだから、爆発しろと言われる立場にいるのだろうか。なんとも馬鹿らしい疑問だが、更に馬鹿らしいことにこれに縛られている。今日半日を過ごして楽しかったし、好意が嬉しかった。1人で悶々とするよりもはるかに、そして文章を書いているのと同じように素敵な時間を過ごせた。なのにブログを書かないと寝られない。
確かに恋人ができれば充実する。が、必要条件十分条件と同じで、充実の全てが恋人ではない。無価値感は胸の中にあり、孤独に寄り添ってくれる音楽が好き。空疎を埋めるために文字を書き、歌をうたう。
それなら、孤独に寄り添ってくれる音楽と同じように、好きになれたらよいのでは。
恋人というものと疎遠だったため、大きくとらえすぎているのかもしれない。顕微鏡のように、ピントは少しずつ合わせることができる。
今この時から私の人生が変わることもない。ただ、今日1日つけていたネイルを落としたくない気持ちだけ、新しいものとして迎えたらいい。