明日の空は何色だ

作家を目指し幾星霜。物書きの雑記ブログ。

墓標

「墓標」って、私はネガティブな文脈で使えなくて、桜だって冬の墓標だって思ってる。桜の花は、とても寒い状態から暖かくなることによって咲くらしい。ずっと暖かいところじゃ咲かないようにできてるってことだ。桜が咲くのは確かに冬があったということで、春の日差しの中でやわらかく咲くそれは冬の存在を確かに証明している。

でも、もうここにはないもの。

だから桜は、冬の墓標。

 

 

歌もダンスも上手で、動画の編集だってできて、バイトをやれば絶大な信頼を獲得して、身長よりもっとずっと大きく見えるくらいオーラがあって、もちろんとってもかわいいあの子でさえ「わたしは才能がないから」ってこぼす。現実ってほんとクソ。私なんかが「才能ない」って泣くのは当然のことだと思ってた。でも現実の方が全然ムリめにできてるから、そう思わされているだけかも、とか笑ってみる。全然自嘲で、言葉を大事にできてない。もっと言葉くんのこと信じてあげなよ!

「おまえは才能がないよ」って、年下の子とか友達とかに言うなよ。私は小説を書く。面白いって言ってもらうこともある。でも同じ口で「対して俺の友達は才能がなくってさ~。やめた方がいいって正直に言ってやったよ」みたいなことも加えてくる人がいる。そしてそれは過去に複数人出現した。おのれら全員馬鹿なのか???????????

私は才能ないって言われたことない。多分。才能あるね、って褒められたことの方を覚えてるだけかも。結局楽天的な脳みそ。でもなんで、「才能」の二文字に拘泥して、わざわざ「自分には才能がないから」とか管巻きたくなるの?

俺のこと、俺が知らない間に傷つけた奴、誰だよ。

犯人捜しをしても仕方ないので、やっぱり自分のことは自分がかわいがるしかない。それじゃ価値がないとかいわない。昔の自分が書いた文章は愛せる。それはもう他人のつくったものだから。床に落ちた髪の毛を、「あ、自分だったものだ」って思わないじゃん。汚い比喩になっちゃった。その感覚を少しずつバグらせて、ナウタイムの自分を愛せるように努力しないと。

努力努力努力......

私はブログを書けば自分語りをした上に「もっとがんばらなきゃ」でシメようとする。学校の作文かよ。

...っていう自分をいい子いい子してやれって話をしてんだよ。

てかもともと可愛いあの子の話をしてたんだ。

 

 

とっても若くて頭が良くて心根の真っ直ぐなあの子も泣いてた。なんでだよ。泣かすな。責任取れとか説明しろとかは言えない。オタクに提言をする権利はない。だからこれはただの文句なんだけど、泣かすなよ。推してて楽しくないから、無邪気に「推し活」とかできなくなった。これはどのバンドやグループ・個人に対しても。好きな人が炎上するたびに、土砂降りの中に傘もなく放り出されたみたいな気持ちになる。だから好きになるのが怖い。アラサーのくせに思春期ですか?かわいいね。

 

 

過去の私がとっても救われてきたアイドルグループの話をしています。

 

 

こういうことがあると、ほんとうにキツいときに救われてきたあのパフォーマンス、音楽の裏で、メンバーはめちゃくちゃ苦しんでいたのか...みたいに落ち込んでしまう。長編小説で、あれだけ、「多数の幸福のため犠牲になる少数」のことを書いてきたのに、俺ってば都合がいい嫌な奴...。とかなっちゃう。でもそれは余計な感情だとここに書いておく。救われた事実と、今直面している現実は、別個に存在しうるもの。不可逆なんだよ。渦中のお方の暴虐もめちゃくちゃな優しさも、それぞれたしかに存在しているもの。だから誰が間違っているとかウソを言っているとか、そんな簡単な話じゃない。それぞれの語るものが真実で、矛盾があって当たり前。現実はクソなんだ。簡単じゃない。

俺たちは、生きている限り、それに直面し続けなければならない。

かなりムリ。

でも道は続いていく。

終わりは遠い。

分かんない。明日終わるかもしれない。

終わりってやってくることが確約されているのに、いつやってくるのか見えないの、設計が優しくないな。

 

 

前世とか業のことを考える。

俺たちはどこからきて、どこにいくんだろう。

とかさ、凡俗な脳みそじゃ解決できない難問に逃げ込む。

それくらい参っちゃった。

でも思い切ってブログにしてみて良かったよ。

読んでくれる人がいたら、ありがとう。

君の明日が、今日より良いものになりますように。

回復軌道

久し振りにブログを書く。

 

6月頃から散歩を習慣にして、うつ病の症状が改善されていった。

 

自分の人生は自分で切り拓くしかない、と思える気分にまでなっている。希死念慮を抱え、真夜中に死ぬ方法を考えていたのは、ほんの1年前のこと。

気力の欠乏する病気だから、ここまでエネルギーが湧いてきたということは寛解したと思っていいのだろうか(医者に聞け)。

 

ここまで回復したが、うつ病の人が誰しも「希望を持てるようになるよ!」と言ってはならないなと思うし、他人の希死念慮を否定してはいけないなとも思う。

通院する病院がBADな場合もあるし、環境のしんどさにはかなり個人差がある。希死念慮はほんとうに絶命したいというよりか、「逃避」カテゴリの中から「死」しか選べない状態なので「死にたい」と言っていることの方が多いという印象だ。要するにめちゃくちゃ追い込まれている。自分は医者以外に希死念慮を表明することはなかったが、それは「逃避願望まで否定されたら嫌だなあ」と思っていたから、と今は感じる。だからせめて、他人の希死念慮を単に否定はせず、意思を汲み取るようにしたい。

 

元来、自他の別なく甘えが苦手な人間で、だからこそうつ病になったはずだ。病気になったことでもっと上手にエネルギーのやりくりをしなければならないと危機感を覚え、多少の甘えは仕方がないと割り切るようにはなった。

でもやっぱり、悪い状況に対して自責20%他責80%の思考に対しては「甘えるな!」と怒りすらわいてしまう。病気の再発が心配だ。

一方で、病気で自分が180度変わってしまうのでは、という虚しさを覚えていたので、怒りを持てる自分が嬉しくもある。

 

落ち込んでも、色んなところからエネルギーをチャージして、たっぷり眠って、やれるように頑張っていきたい。

Twitter

るりちゃん(飼っているベタ。熱帯魚)(最近この書き出しばかりだ)の尾びれボロボロは、進行がおさまってきた。

とはいえ心配なので、「尾ぐされ病」という、尾が溶けてしまう病気について調べる。Twitterで検索すればどんな症状なのか写真が出てくるかな、と思ったら、意外とピンとこないものばかりだった。

動画を見てみると「尾ぐされ病」というのはベタを専門に売っているショップでもかなり稀な病気らしく、尾ひれがボロボロするのは自切りや引っかかりといった原因がほとんどらしい。

「これは尾ぐされ病?」とツイートしている人は、私のように心配で病気を疑っているのかもしれない。病気とそうでないものの違いは、元気がないとか、尾ひれに白いもやもやがあるとか血が滲んでいるとかだそうだ。写真を見ていると、あまりそのような症状は見られない。画像検索でしぼったからかもしれないが、この件に関しては動画の方が有益だった。

 

Twitterを使う若い人の中には、分からないことがあったらまずTwitterで検索する人がいるらしい。私はうといので最近気づいたのだが、リアルタイムで進行しているものはTwitterの方がほしい情報を得られることが多い。たとえば、口唇ヘルペスになったとき「どのような病気か」はGoogleで調べたが、「実際ポピュラーなのはどの程度の症状なのか」はTwitterで調べた方がよく分かった。

多分これって、わざわざ書くまでもないことなんだろうな……。Twitterを始めたのが大学3年生の時分で、手についていない。TikTokもやってない。なんかカルチャーについていけない。

1番性に合っているSNSTwitterで、Facebookもインスタもアカウントを持っているが、全然見ない。文字ベースであることと、雑多なことが個人的にはポイントだ。昔「Twitter好きは世界史の資料集の下にある豆知識なんかを好んで読んでいた人」というツイートを見て納得した。

とはいえTwitterで交流するのは苦手だし、さほどツイートはしない。長文が好きなタイプなので、言いたいことがあると連投になる。140字でおさめる技術が必要だなあと思うが、煩わしくなって常用に向かない。

ちょっと古いタイプなんだろう。ブログくらいの分量が自分には似合いである。

群青

るりちゃん(飼っているベタ。熱帯魚)の尾ひれは、昨日に引き続きボロボロしてしまっている。

水替えをしてからとても元気に泳ぎ回っているが、心配なので、いつでも治療できるように道具をそろえた。

ひれがボロボロすると、活発に泳いでいてもかえって心配になる。同じところをくるくると泳ぎ、エアレーションの影におさまる。「人間に例えるとなに?」という方法では気持ちをおしはかれないので、やっぱり観察に尽きる。

知識を得るのも大切だが、生き物なので、個体差によるところが大きい。スマホの画面だけでなく、魚自身をきちんと見てあげることも大切だ。

 

今日の散歩は、いつもと違うルート。何年かぶりに歩いた道だったが、古い歩行者用信号があった。

数年前に比べ、信号はLEDが増えているような気がする。人の形が黄色くなっている信号ってあんまり見ない。LEDでなくとも、比較的新しいものは白っぽい。

幼い頃は、信号の新旧が面白くて、よく気にしていた。移動時間は暇だから、雲を見たり景色を見たりして、空想を巡らせていた。

今は、あまり空も見上げない。空の青さ、雲の様子を見るのは好きだが、顔を上げたくないのと、飛蚊症がひどいのが原因だと思う。自然と俯いてしまうのは、病気のせいかもしれない。

昨日は、ふと見上げた空が夏の色をしていた。雲間に見える群青。遠くには、ふわふわした雲がかすんでいる。水分の多い大気がこの場所を包んでいると感じた。

 

梅雨に入り、空は曇り色。でも青空を見る楽しみができる。

……空を描こうとすると途端に青臭い文章になるけど、それはどうしてなんだろう。

イルネス

るりちゃん(買っているベタ。熱帯魚)の尾ひれがボロボロしてきてしまった。

原因を色々調べたが、病気というかストレスだと思う。明日水替えをして、様子を見るつもりだ。

尾ひれがボロボロしている→すぐ治療!

の頭だったが、複数の記事を参照した結果

尾ひれがボロボロしている→生体の様子を見る→元気がなかったら治療

が良さそうだった。

「様子を見る」のワンクッションがあった方がよい、というのが所感だ。まだうちに来て1週間も経っていないので、いきなり治療をするのもストレスになるかと思う。

底の方にいたり、覗き込んでもそっぽを向いてしまったりと、昨日までに比べたら元気がなさそうだが、フレアリング(ベタの威嚇行為で、全身のひれを広げる。鏡なんかを見せてフレアリングさせることにより、運動不足解消や血行促進などの効果がある)もするし、泡の巣も作っているし、背びれは立つので、元気の範疇かな……と思っている。

とりあえず水質は良くないとみられるので、明日水替えはする。

 

人間の身体の異常に関しても同じことが言えるかなと思う。というか、腹痛がある→すぐ病院だと、「様子を見ましょう」と胃腸薬だけ渡される……なんてことが多い。自己治癒力でどうにもならないとき、医者に頼るのが正しい順序なのかもしれない。(急性の異常とか、子供の場合は話が別だけど)

ただ、放っておきすぎるとやはり悪いことになるというのが、うつ病になって思うことだ。

今朝ワイドショーで、脳と腸の密接な関係について特集していた。「腸は第二の脳」ということは言われてきたが、今や「腸は第一の脳」というらしい。脳=メインコントロールルームという代名詞的な感じで使っているのだろうが、一瞬「?」となる表現である。

うつ病になる9か月ほど前から、原因不明の腹痛に苦しんでいた。まさに、腸が痛かった。突然、作業の手が止まるほど腹が痛む。病院に行っても「腸が悪いようだが目立った異常はない」ということで、でもどうしたって痛いから上司のすすめでCTまで取ったが、やはり異常ナシだった。

でもどうしたって腹は痛い。今思えば心因性なもので、心療内科を頼るべきだった。ワイドショーでは、腸内環境の悪化はうつ病の発症リスクを高め、また逆にうつ病の患者は腸内環境が悪いという研究結果が出ているといっていた。

たしかに、去年の今頃(罹患して1か月)は、1日に5回腹を下す日が続くくらい腹痛に苦しんでいた。(そう病院で言っても胃腸薬はくれなかった。週一で通っていたのに)今は随分よくなって、元々お腹が弱いタイプであるものの、理不尽な痛みに苦しむことはあまりない。

体感として、腸と脳って一体だ……というのがあるため、うつ病がよくなっても腸の調子には気を配りたい。というか、配らないといけない。

というわけでヤクルトが売れてんだな、と納得したのでした。

 

イヤホンとかIEとか

蒸し暑い。

それだけで体が重い。日本人なんだから、もっと耐性があったらいいのに。

 

普段、イヤホンを4つ使っている。デスクで作業する用、外に出るとき用、Bluetooth、寝床に置いておく用だ。

デスク用のが1番高いやつで、8割引きになっていたので買った。さすがに音質が良くて、他のイヤホンでは聞こえない音がよく分かって感動する。好きな歌手やバンドのこだわりに触れて、もっと好きになる。単純に楽器の音もクリアで生に近くなる。

全部ALPEXという日本の会社のもので、特にこだわりがあるわけではないがなんとなく手元に集まってきた。

 

alpex.jp

 

……とここまで書いて、会社用のをもう1つ持っていたと思い出した。Teamsで会議をするときに使っていた。あまり会社のことは思い出したくないので、通勤バックと共にしまわれている。

 

そんなイヤホンで音楽を聞きながら久々に小説を書いたのだが、今日はWordの調子が悪く、漢字変換が2回までしかできなかった。「かい」と打ったら「階」か「甲斐」にしか変換できない、といった具合だ。Outlookのサブスクを使っているが、インターネットエクスプローラーのサービス停止に伴う障害だろうか……。

ファイヤーフォックスでもクロームでもなく、インターネットエクスプローラーを使って繋いでいたことが多かったので、今後このアイコンが忘れられていくのが寂しい。多分5年後とかに、ツイッターで「懐かしい!」とネタにされるんだろう(ほんとかな)。

 

当社比でアルファベットの多い回になった。苦手なので読みにくい。でもカタカナで書くよりその会社が名乗っているスペル通りに書きたいタイプ。なのでこのままにしておこう。

隙あらば語るオタク~エドワード・ゴーリー編

今日も気温が低かったが、雨がなかったので昨日よりも体調が良かった。たっぷり9時間睡眠して、悪夢も見ず、多少すっきりした。

 

ベタを飼い始めて3日。1週間もせずに死んでしまうこともあるそうで、そわそわする。今のところ元気に泳いでくれているけど……。とにかく観察と勉強だ。動画をいくつか見た。生き物なので当たり前だが、動画投稿主によって(大体熱帯魚ショップの方がやっている)意見が違う。「水替え」というトピックでも、必ず複数見るようにしている。

こうして書いている最中も、様子を見ずにはいられない。かわいい。

 

今週のお題は「本棚の中身」。私は比較的本が好きで、積読してしまうが、軽率に購入する。部屋の一部を本棚にしているが、おさまりきらずに平積みになっている。

高校生のときまでに買った本は小説が多い。大学生になってからは民話集、漫画、民俗学の本が増えている。小説を書くに比例して小説を読むのが苦手になってしまい、あまり読まなくなった。代わりに、ネタの宝庫である研究書が好きになったのだった。

 

あまりコレクション癖はないが、ちょびちょび買い集めて本棚を占めているのがエドワード・ゴーリーの絵本だ。

pdmagazine.jp

 

「大人の絵本」と言われる数々の作品は不条理・残酷にあふれ、人によっては顔をしかめる内容だ。私はナンセンスなものが好きだが、原点はここのように思う。子供たちが理不尽に死んだり、不穏な室内が淡々と描かれたりする。絵の筆致はこまやかで、奇妙な生物には怖さと愛嬌が同居しており、とにかく独特だ。ムーミンの作者であるトーベヤンソンも影響を受けたらしい。

 

初めて出会ったときの衝撃を、今でも忘れられない。

立ち読みだった。『おぞましい二人』という作品。

あらすじは(ネタバレ?)世間の影でぼそぼそ生きてきた夫婦が、ある日子供を誘拐して殺し、獄中で死ぬまでの物語。手に取ったきっかけは、類似の事件が世間をにぎわせていたからだった。

 

衝撃を受けたのは、初めて子供を殺したシーンをめくった後。描かれていたのは、夫婦が朝食をとる風景とそのメニューだった。

雷が落ちたような感覚で、しばらく呆然としていた。殺人に及んだ人間の、次の日の朝食。惨殺に及んでいながら、それがまるで日常の一部であるように振る舞うことにより浮彫になる狂気。ほんとうにこわいことは、当たり前のような顔をしている。絵と少ない文章で、真理を突き刺されたような気分になった。

 

とはいえ、絵本の奥にはいつも温かな人間愛が感じられる。分からないことだらけの世の中で、誰も教えてくれない生きるためのヒントを、そっと教えてくれるような優しさがある。ように思う。

 

柴田元幸さんによる翻訳・あとがきも気持ちよく、原文と合わせて載せられているので訳の見事さにうむむと唸りながら読むのも楽しい。

 

本屋さんで見つけて、「限定しおりつき!」で売られていると、ついつい買ってしまう。その時困るのが、何を持っているか分からなくなることだ。内容を見てから、今1番ほしいものを買うのだが、これ自分の本棚にもうあるやつかな……?と首をひねる。ほんとに好きなのか?と自分が残念になる瞬間だが、ちゃんと持っていないものを買えているのでまあ今のところ大丈夫だ。

 

お約束だが、こうして書いていると読みたくなる。明日の朝はエドワード・ゴーリーで決まりだ。