明日の空は何色だ

作家を目指し幾星霜。物書きの雑記ブログ。

転居

なんとはなしに、ブログを開いてみた。

最後の記事の更新は、もう100日以上前だった。

 

3ヶ月くらい前に、引っ越しをした。元々いた場所に帰った。

人と一緒に暮らすと、ブログを書く動機がなくなるなと思う。自分の言いたいことを話せる相手がいなくて、ブログを書いていたから。ネットでは人とからめないし、友達は忙しいから電話をしたら迷惑だろうと思っていたし。

 

うつ病は前よりもよくなった。

転居にともない病院が変わって、診断も双極性障害からうつ病に変わった。今の先生いわく、もともと気分に上下のあるタイプの人がうつ病になったのが私で、双極性障害とはいえないのでないかと。

それでも、気分の波をおさえる薬を服用して、なんとかやっている。

睡眠薬も前より自分に合っていて、昼寝をすることも少なくなった。

 

帰るか帰るまいか、ものすごく悩んだが、いま現在帰ってよかったと思う状態にある。(もちろん良いことばかりではなく、帰ったことによる悩みもまた存在するが)

生活リズムの安定と、食事をきっちりととることの大切さがよく分かった。分かったところで、それが可能な環境がなければ実現が難しいことも。

 

未来は不安だらけだから、考えようとする自分を遠ざけた。やりたいことも増えて、だらけることの価値も知って、今ここにある自分の声に従う練習をしている。書きたいと思ったら小説を書き、自然の様子を知りたくなったら外に出て、食べたいお菓子があったら薬局に行き、あまりためらわずに好きなだけ買う。

自分の中に入ってくる情報が増えた。そうすると、世間から切りはなされたような孤独感は薄まる。外側から、自分の形が分かっていく感覚。そも、他があるから己があるわけで。独居で向かい合う瞳といったら鏡の自分のそれになってしまうと、他と己が溶け合って深く沈んでいく。それが悪いとはいわないけど、濃密すぎるから、負の方向にも苦しみが強い。他者と生きることの辛さはあからさまで、独り生きることの辛さは内にこもって多様化している。ように思う。

 

なんでも、どれがいいとか決められない。好き嫌いも、自分と相手のコンディションで変わっていく。それでも私はナンセンスな表現が好きとか、水の溜まったものや流れるものに光がさすのが好きだとか、四季の移ろいが可視化される瞬間が好きだとか、一貫して大事にしたいものはある。自分にとってそれが当たり前すぎて、あまり「好き」という表明をしないできたなと思う。あまりにも自分すぎると、外に出ようとしないのかもしれない。

 

これから何があるんだろう。考えないようにしたって、背中にべったり貼りついている。とても苦しいけど、そろそろ許されてもいいなと思うし。今のうちに、自分の奴隷になる練習をしたい。

 

梅雨がきても、心やすく過ごせますように。