プロフィールにもあるが、私は物語を書く人間だ。
きっかけは、幼少時の引っ越しだと思う。初孫としてもてはやされ、言葉を覚えた土地から離れ、環境が変わってなんだかしょんぼりしていたらしい。幼い頃ながら、アパートから見える景色が灰色だったのを覚えている。
それで多分、自分の中で大きく欠けてしまったものを埋めるために、色んな空想をするようになった。といっても自発的に始めたというか、自動的にそうなっていたんだと思う。レンタルしているビデオに一覧がたくさん載っている冊子みたいなのが家にはあって、パッケージやカットの写真からどんな物語かを想像するのも好きだった。
それが癖になってしまい、字を覚えてからはおえかきと共に物語を作るようになった。し、いつしか空想の余地がある物語を好きになった。その両輪で、授業中にもてあます時間に、ある物語を考えるようになった。
小学五年生で始めたそれは、大学四年生が終わる3月にようやく完結を迎えた。
頭に浮かんだ映像を書き起こすタイプの自分にとって、字に起こす作業が1番疲れる。
個人的に、物語を書くためのステップ(ファンタジー)として、
物語の種がやってくる→連鎖的にできる設定から文化、時代などをなんとなく決める→登場人物をそろえながらリアルな文化的事象を調査する→世界ができあがり、物語の設定がそろってくる→その間に浮かんできた映像を文字に起こしている→清書として、一貫した物語に整える。そのためにプロットを書いたり設定を見返したりしてるうちに矛盾点が見つかって、既に書いたものをボツにして書き直す、をひたすら繰り返す
これらのうち、太字で書いた部分の作業が楽しく、それはもうどんな労力も睡眠の不足も惜しまないくらいだ。完結までに時間がかかったのは、永遠に設定をこねくりまわし、そのうちに自分の趣味嗜好が何度もかわったため。最初は2国間の争いを描いたものだったはずが、いつしか地母と神とうまくいかない人生を送る登場人物たちの物語になっていた。
重い腰をあげて清書を始めたのは、就活がきっかけだった、嫌というほど自分の人生と向き合い、売り手市場なのに1社しか受からず、多分物語を書ききれないとヤバいことになるなと思ったからだ。火がついたような衝動と、就活での経験をファンタジーに置き換えるところから始まり、あとはもうひたすら書いた。卒論の期間は休んで、あとは人と遊びに行く間もなく書いていた。
うつ病になってから、この物語にとても支えられた。なんなら読みながら泣いた。「書ききれないとヤバいことになるな」という直感はあながち間違いではなかった。
今は続きの物語と別の新しい物語、なんとなく書いている小説があるので、この物語への愛着が重すぎてはいけないと思っている。
でもやっぱめっちゃ好きなんだよな……。物書きあるあるで、処女作にその後書く作品のテーマは全て詰め込まれているというし。
そして、さんざん書いてきた「物語」というのが以下です。
「そしてまた月は満ちる」
http:// https://ncode.syosetu.com/n6136gr/
遅すぎる自己紹介を兼ねた、宣伝でした。