明日の空は何色だ

作家を目指し幾星霜。物書きの雑記ブログ。

怪談語り

木曜日から始めた散歩が続いている。

なかなかに疲れるが、スマホに入れた歩数計が距離や消費カロリーなんかを見える化してくれて小さな達成感もある。「おめでとうございます。目標達成です」と褒めてもくれるので、うれしい。GoogleのFitというアプリ。

 

曜日など関係のない生活を送っているが、土日は好きだ。休んでいることの罪悪感が低くなるから。病気なんだから休息は必要、と割り切れるようになったものの、まだ心には残っている。うつ病あるあるだと思う。

散歩をしていても、町がのんびりしているような感じがする。

 

夕方に散歩をするのだが、前からやってきた人間が、未来の自分だったらどうしよう、というへんな不安に駆られた。そんなわけないと分かっていながら、そんなことが起こってしまうような感じがして、どこかで期待すらしていた。

毎日外に出て、川筋を歩いていたら、いつか妙なものに出会えるかも。オカルトや怪談が好きなので、おっかなびっくり望んでしまう。実際起こったらきっとトラウマになるんだろうけど……。

 

私が小学生の頃は、空前の「怪談レストランシリーズ」ブームだった。高校生の時にアニメ化されたから、その後もブームは続いていたのかもしれない。私も2日に1冊くらいのペースで読んでいた。

 

www.doshinsha.co.jp

 

「怪談レストラン」は、「○○レストラン」(○○には火の玉やあの世など、怪奇にまつわる名前が入る)というテーマに沿い、メニューという形で短い怪談がいくつかのせられている。コラムもあって、金縛りのときにどんなものを見てしまうかとか、どんな夢が良くないしらせとか、ためになる(?)ことが書いてあった。挿絵にはユーモアもあって、それも楽しみのひとつだった。

私がとりわけ好きだったのは「これ、ほんとにあった話だよ」が書き出しの話だ。あの世から蘇った老人の話、あやかしと懇意になった人の話。世の中には、こんな小説みたいな話が本当にあるんだ!とワクワクした。

しかし、私はシリーズを読破することなく読むのをやめてしまう。

『悪夢レストラン』を読んだあと、幽霊が迫ってくるという悪夢を本当に見てしまったからだ。今思うとベタな幽霊の姿であったが、当時の自分にはあまりに怖いことだったので、鮮明に覚えている。

このことを保健室の先生に話したら、「本を読むのをやめた方がいい」と言われて、私もその通りだと思った。

 

しかし大学生になって、「怪談レストラン」の進化版みたいな本を読むことになる。編者の松谷みよ子さんが集めた奇怪な話が、これもまた「あの世」などといったテーマごとに収められているシリーズだ。この本が民俗学を扱った棚に置いてあり、その分野が好きな私は面白い本を物色している最中、思わず手に取った。

 

トラウマになって遠ざけた怪談だが、興味の種はしっかり根付いており、それが民俗学的な興味と共に芽吹いた感じだ。

 

個人的に、怪談は死者の話をしているようで、どこまでも生きている私たちの話をしていると思う。怪異を見るのは生きた人間だし、解釈をするのもこの世の都合に沿う。また、死者が現れるのは生に未練があるため=生きてきた記録の不備を清算するためだと解釈している。そこにたしかに、感情をもって生きた人がいたと、死者は語るのだ。

だからこそ、とても生々しい話に聞こえるし、純度の高い悲しみの声が聞こえる。

 

怪談を語るところに怪異が訪れる、というのはよく言う話で、実際そういった場に遭遇したこともある。またトラウマになるのかもしれないが、実話怪談ブームもあって、供給にはこと欠かない。

 

怪異はいつ、私のもとを訪れる、もとい訪れてしまうのだろうか……。