明日の空は何色だ

作家を目指し幾星霜。物書きの雑記ブログ。

終戦記念日

今日は鬱の症状である緊張、自責、希死念慮の相手で忙しかった。動かずにはいられないので、カーディガンの毛玉除去に没頭することにした。無心になれるので効果抜群だったが、作業に疲れて横になると三者が一気に襲来してくるので辛い。大好きな高校野球も、せっかく4日ぶりに試合があったのに、空疎な気持ちで見ていた。

 

今日は76年前に戦争が「終結」した日だ。親族から戦争の話を聞いて育った、というわけでもないが、幼い頃から戦争に対して異様な恐怖を抱いていた。小学生の国語で習う戦争時の文学は、涙をこらえながら音読した。現在制作中の物語にも、間接的な形で戦争の話を取り入れようと思っている。

 

私のルーツは福岡の小倉にある。戦時中、ここに曾祖母が住んでいたらしい。

あまり知られていないが、長崎に落とされた原爆は、元々小倉に投下される予定のものだった。天候不良により、第2候補である長崎に原爆が落とされることとなったという。

私はこれを聞いたとき、慄然とした。もし小倉に原爆が落とされていたら、今の私はいなかったかもしれない。

それは裏返せば、長崎で犠牲になった方々の命の上に、私の生は立っているということだ。

 

生まれてこなければよかった。自分のこれまでの人生は過失の連続だ。死んでしまいたい。

繰り返し脳内でそう響く。だが私の命が、何万人ものそれぞれの人生が暴力的に閉ざされた過去の上に立っていると思ったら、生きることが義務であるように感じられる。

義務、というのは、「強制的なもの」というよりも「ここにいる理由を課してくれるもの」というニュアンスだ。

過去は変わらない。でもよりよく生きようともがくことはできる。

私は戦争を忘れない若者でありたいし、戦争を考える中年になりたいし、戦争を後世に伝える老人になりたい。

 

失われたひとつひとつの命を思うと、ただただ悲しい。同時に私の命が失われることも、誰かにとっては深い悲しみになるのだろう。

苦しいが、日々切々と生きるほかない。今の私にとっては、それが出来うる最大限の弔いだ。